LOCAL DESIGN LAB

この夏のこと.01

6月の終わりの頃、この夏は休むことにすると決めてから、3ヶ月が経った。

コロナ禍で、地元の川の桜のお祭り(地元の仲間とチームで制作していたチラシは、お披露目できずに終わった)も、ゴールデンウィークも泡のように無くなっていった。スマートフォンの画面に流れてくる感染者数が日に日に増えていくのを見つつ、家にいることも多くなり、デザイナーとして連載ページのデザインに関わらせていただいていたBALL.の創刊号の制作も一段落した6月末。身体が出している声なき声を受け入れるしかないくらいにダウンしてしまった。

持病のアトピーと付き合っては約30年。子どもの頃に一緒に患うことも多い喘息は、バスケや野球、バレーボールと、決してうまくはなかったけれど、いろんな部活をしているなかで体力もついてきて、学生時代に、ほとんどさよならした。その後、たまに発作がでることもあったけれど、今はもう落ち着いて、喘息持ちという認識はない。

ただ、アトピーとは社会人になってからも、良くなったり、悪くなったりを繰り返していた。福岡・大刀洗にいた時も、状態が良くなく温泉通いをした時期もあった。フリーで仕事をするようになり、結婚もして、二人で暮らすようになっても、定期的に皮膚科に通っていて、なかなかさよならできずにいた。

二人暮らしを始めてから、これまでに何度も、パートナーからもっと身体の声を聞いてあげてと言われてきてもいた。
足の裏を掻き壊して、痛みをかばうように歩いていた時期もあったし、掻いてボロボロに落ちた自分の皮膚をホウキで集めては、山のように積もったそれを見て、気持ちが何度も沈んでいった。

仕事の仕方や関わり方、仕事の分担についても、何度か相談したり見直して、体調も持ち直してきたりもしたけれど、根本的にはあまり変わっていなかった。自分の身体の声を聞かずに、好きだったはずの仕事に追われては、目に見えないストレスが溜まりに溜まって、どうにも限界近くまできてしまったのだった。

事務局として関わっているエリアマネジメント南山の活動やイベントも、新型コロナウィルスの影響で、春ごろから自由にできない状況が続いていた。7月・8月は、ほとんど活動がない状況だった。
長期間の休みをとるには、この夏のタイミングを逃したらないかもしれない、とにかく一旦ストップするのは今しかない、そう思って6月末、布団で寝込みながら休むことを決めた。

休むのとあわせてアトピーとの向き合い方も大きく変えた。これまでは「ステロイド」で炎症を抑えて「保湿剤」を使いながら肌の状態をコントロールしていく、いわゆる標準治療をうけていた。いくつか病院を変えてきて、処方される薬に若干の違いはあるけれど、基本的にはこの方向性での治療だった。

6月末からは「保湿剤を塗りたくる生活」から「保湿をしない生活」へと、ガラリと治療方法が変わった。いな暮らしに出張で来てもらって、パートナー家族が診てもらっていた鍼灸の先生に、自分も診てもらうことを決め、隔週で鍼を受けながら、食事面の見直しや日常生活で気をつけることのアドバイスをひとつひとつやっていく。パソコンの画面を見ながらつい口にしていた甘いものも極力なくした。自分の身体を眺めては、本当に大丈夫かなぁと不安になったことが何度もあった。
治療方法を変えてすぐの7月の1、2週間は、ほとんど寝たきりの状態。ご飯の時だけ起きて食べるというような具合で、それ以外に何もやる気にもならなかった。保湿剤やステロイドという「外からの力によって抑えてコントロールしていく方法」から、「自分自身の中に備わっている力で治していく方法」に切り替わったことで、気力も体力も、身体を治すことに使われて、寝ているほかなかったのだった。

8月の初旬は、長野の安曇野にいた。穂高養生園という「食事・運動・休養」を中心に自己治癒力を高めることを目的とした宿泊施設に、名前の通り「養生」しに行ってきた。ここでの4日間は、この夏のとても大切な時間となった。

2020年10月5日